西端村(にしばたむら)は、かつて愛知県碧海郡にあった村である。

現在の碧南市の一部(油渕町、白沢町、札木町、三度山町、坂口町、上町、吹上町、湖西町、長田町、神田町、洲先町、半崎町、平山町)に該当する。

歴史

弥生時代から辺縁集落をなし、古代は幡豆郡に属し志貴庄の中にあったが、1605年(慶長10年)矢作川の本流が変わって以来碧海郡に属し、古くは西畠村と称した。

1246年(寛元4年)頃、大部分の村民が熊野修験道の影響下にあり(黄葉記)、1409年(応永16年)の『熊野道者日記』(大乗院記録)に「浦にしはた」とある。

中世は海辺船着の集落であったが、天台宗の浸透につれて北山・後畑・小清水の洪積台地に移行した。浄土真宗が盛んなのは蓮如との関係が深く、『本願寺伝』によれば1468年(応仁2年)蓮如が亀崎(現・半田市)から舟で西端に上陸したときは「畷をへたてて遥かに西畠村の炊煙をのそむ」(上宮寺文書)景観であったという。以後集落は南に延び、上組から中村組・札木・下の切の集落となる。

近世を通じて本多氏の所領であった。本多忠相は1616年(元和2年)三河国碧海郡に、城ヶ入村・西端村を合わせて高1000石の領地を与えられ西端村に陣屋を構えたが、のちしだいに加増して1864年(元治元年)忠寛の代に1万500石余の大名に列せられ、西端藩を称した。

  • 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制により、碧海郡西端村が単独で自治体を形成。高取村と1892年(明治25年)まで組合村を結成した
  • 1906年(明治39年)5月1日 - 和泉村・城ヶ入村・根崎村・東端村・米津村および榎前村の一部と新設合併し、淵辺村が発足。同日西端村廃止。

脚注

参考文献

  • 日本歴史地名大系 愛知県の地名

関連項目

  • 愛知県の廃止市町村一覧

【日本最西端の地を巡る!】 YouTube

西村日本料理 香港新华集团

1欧元在西西里岛买房:机会还是套路?_桑布卡

西村乡图册_360百科

西都 substory 日本遗产 古代日本的「西都」