臼杵神社(うすきじんじゃ)は、大分県臼杵市大字稲田字林西平に鎮座する神社である。

概要

通称は「臼塚さま」。大友時代臼杵五社の一つ。臼塚古墳の後円部を社殿敷地とし、境内には、舟形石棺2基及び短甲形石人2基がある。

祭神

少彦名命、大己貴命、菅原神。

このうち菅原神は、明治9年(1876年)、同市大字稲田字天神に鎮座していた天満社を合併したものである。境内社として、稲荷神社1社(祭神:倉稲魂命)がある。

例祭

古文献類では、6月19日及び11月19日とされているが、現在では、4月第2日曜日及び12月19日近日曜日である。例祭で奉納される獅子舞は、寛政7年(1795年)に始まったものである。

境内

臼塚古墳(前方後円墳)をすべて境内としている。後円部には、社殿と船形石棺2基がある。また、拝殿前(前方・後円の接続部)に、短甲形石人2基(重要文化財)があったが、現在は、境内整備により、鳥居付近に移動されている。

なお、この短甲形石人については、臼と杵を模ったように見えることから、現在の「臼杵」の名の由来であるとする説がある。

その他

従前、同市芝尾地区に鎮座していたのを遷したとする異説もあるが、同説を紹介した最古の文献では「けだし往古よりの鎮座なり」として、これを否定している。

歴史

天孫降臨の際に臼と杵を降ろした地とする口承があるが、文保2年(1318年)、託宣により創建されたといい、初めは「臼塚大明神」と称した。

享保14年11月19日(1730年1月7日)「臼杵大明神」と社名を改称し、寛政7年(1795年)に獅子舞が始められ、文化8年(1811年)、神道講釈を開催。天保2年(1831年)と同5年(1834年)には臼杵領内神主20家による湯立神楽が奉納され、安政元年(1854年)、安政南海地震により、境内の石燈が倒壊。

明治9年(1876年)12月、同市大字稲田字天神に鎮座していた天満社1社を合併し、「稲田神社」と社名を改称。大正11年(1920年)、氏子らに社名復旧の動きがあり、「臼杵神社」と社名を改称した。

伝承

「神代事記」「陣貝詞」「臼塚射書詞」と称する由緒・意図不明の記号群及び文字列の伝承を記述した文献がある。

文化財

重要文化財
  • 短甲形石人 2箇(重要文化財指定名称は「石甲」)

交通アクセス

JR日豊本線 熊崎駅下車、徒歩15分。

脚注

参考文献

  • 太田六郎兵衛重澄 『寺社考』、1741年。
  • 唐橋世済他編纂 『豊後國志』、1803年。
  • 鶴峰戊申 『臼杵小鑑拾遺』、1814年。
  • 加島英國編纂 『温故年表録』、1833年。
  • 春藤倚松 『臼杵小鑑増補』、1889年。
  • 大分縣史蹟名勝天然記念物調査會<史蹟名勝天然記念物調査報告書>第一輯、1922年。
  • 小野西渓「大友時代臼杵五社」『臼杵史談』第1巻、臼杵史談会編、歴史図書社、1978年。
  • 高橋長一 『臼杵物語』、高橋長一、1978年。
  • 染矢多喜男「臼杵領の湯立神楽」『臼杵史談』 80号、臼杵史談会編、臼杵史談会、1989年。
  • 臼杵市史編さん室編 『臼杵史談』下巻、臼杵市、1992年。
  • 大分県行政文書 「神社明細牒」、1890年。
  • 大分県行政文書 「神社慣例」、1893年。
  • 大分県行政文書 「豊後國北海部郡神社明細」、1911年。

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